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Mad-Pの日記バックナンバー

1998年9月までのバックナンバーです。

8月6日

* 急遽決定自費出張
8/17から20までのPerl Conferenceに出席することが急遽決まってしまった。今から航空券と宿を手配するのだが……。とりあえずパスポートの期限が切れてないことだけ確認。
* ……と思ったら決まらない
↑、と思ったら、チュートリアルに参加できないかもしれないとの続報が入った。チュートリアルが受けられないなら行かないことにするかもしれない。うーみゅ。とりあえず、チケットと宿の手配は出版社の人にまかせることにした。

8月9日

* 自費出張、その後
結局チュートリアルのキャンセル待ちに入って、フル参加のスケジュールとすることになった。16日出発、22日帰国で航空券と宿を手配中。
* PlayStationメモリーカードの読み書き
「プレイステーション・メモリーカード・リードライターキット」なるものを買ってきた。ケーブル込みで3300円。さっそく夜ふかしして製作。ハンダ付けはお手のもの、約30分で完成。をを、読める読める。これでGran Turismoのリプレイをメールでもらったり、Webからもらったりできるわけだ。
* VW Gunslingers
西荻VWでバトルテックのGunslingersに出場。Freeze Moonと二人で企画したのだが、参加者14人はまずまずでしょう。予選5ラウンドが全勝だったのに、決勝トーナメントの初戦で敗れて結局6位。結構練習したのになあ。賞品としてガブスレイのプラモをゲット。先月のバトロイ大会のときにゲットしたレーザーポインターはjusの勉強会でさっそく役に立った。次回の勉強会は自分が講師なのだが、やはり役に立つことであろう。

8月16日 はれ

* 出発
今日から米国行きである。朝8時に起きて最終メールチェック。現地在住の友人たちと会う約束を確認する。この後はもう帰国までメールがチェックできない。何しろモデムカードも持っていないのだ。うまくいけば友人宅からメールを出すことは可能かもしれない。

11時20分に成田に着く。早く着きすぎた。13時にチェックイン。UAは全席禁煙だそうで安心。昼食にざるうどん&すきやき丼のセットを食う。特に免税品を買うわけでもなく、待合室でぼ〜っとしてから乗機。「歩き方」を読んでチップの出し方について復習する。

* 機内でPCを使う
いや〜、ノートPCを買ったら一度はやってみたいでしょう、ってミーハー(笑)。離陸後10分以上経てばノートパソコンは使ってもいいらしい。今夕食が終ってPDT時刻で午前1時40分。東に移動すると夜が短い。
* SFO到着
現地時刻の8:30に飛行機はサンフランシスコ空港へ着陸。日曜の午後に出発して日曜の朝に着く。時差ってすごい(なんのこっちゃ)。荷物のピックアップとパスポートコントロールがさくさく進み、9時にはもう外に出られた。気温は華氏59度==摂氏15度、すずしすぎっす。そこからレンタカー「Hertz」のカウンターで同行の渡里さんが車を借りた。日曜の朝なのかスタッフが少なく、20分くらいかかる。Ford Escortに乗ってサンフランシスコ市内へ。午前中は観光である。
* 電話が……
地球の歩き方によると「一番安い」というパーキングに車を駐め、サンフランシスコダウンタウンへ出る。ここでサンノゼ在住の友人達に電話をしようとするが小銭がない。コーヒースタンドでおやつを買ったりして用意した。が、浅見だけ通じない。番号が変わったとかいうテープが流れ悩む(実は、彼が教えてくれた番号の下一桁が間違っていたのだった。おいおい(笑))。
* 午前中は市内観光
ケーブルカーに乗ろうと思う人のものすごい列を発見、乗るのはあきらめる。最終日、Conf終了後にSFに泊まるので、そのとき乗るチャンスがあるかもしれない。近くのお店でおみやげを物色、子供服などをゲット。

昼食はチャイナタウンの渡里さんおすすめの店でワンタンを食す。うまい。むむむ、この「三和」っていう店、なんだか前に見たことがあるような……。テレビかなあ。店のおばちゃんと写真を撮ってもらった。後で送ってねと言ってアドレスを渡されるが、おばちゃん目をつぶっちゃってて不覚の顔。

食事の後、渡里さんのお目あてのワインをさがして近くのワイン屋を2軒回った。が、件のワインは売切だったらしい。夏のサンフランシスコは寒いので有名らしく、確かに日陰に入るとちょっと肌寒い感じがするくらいだ。サンフランシスコは坂が多いため、歩くと距離の割には大変。気温が低いのはかえって助かったのかも。

* Freewayって速い
2時すぎにサンノゼへ向けて出発、Freeway 101を快調に飛ばす。回りの車もみんな速い。60〜70マイル(100〜110kph)出ていた。3時すぎにサンノゼに着く。宿もなんなく発見、チェックインする。こっちはSFよりだいぶ暑い、と言っても本来の(笑)夏らしさを感じる程度。家に国際電話をかけた。KDDの日本語交換手フリーダイヤルでコレクトコールも楽々。こっちに住んでいる友人達と会う機会がこの後取れるかわからんので、今日の夕食を一緒に食おうということになっていた。再び浅見に電話をかけようとあれこれ試みる。関根に手伝ってもらって教わった番号が間違ってたことが判明し、同時に連絡もついた。
* Perl Conf Registration
Fairmont Hotelへ行ってPerl Conferenceの前日登録をする。おみやげ袋にはオライリー最新刊「Perl Cookbook」、Perl Conf CD、RedHatLinux 5.1のCD、Perlのロゴ入りペンとゴムまりが入っていた。心配していたチュートリアルもなんとか出られることになった。
* Tony Roma'sでリブステーキ
浅見くんおすすめの店「Tony Roma's」で7時に待ち合わせて、浅見、奥さん、関根、小島さんと5人で夕食。リブステーキは骨がついてて、見ためがすごい。をを、なんかアメリカ的(笑)。が、骨がごつい分、食べるところは別段多すぎるという程ではなかった。ほどよくアルコールが回ると、旅の疲れが出てきたので9時すぎにお開きにする。
* 夜は短かったが昼は長かった
小島さんの車で宿まで送ってもらった。シャワーをあびて寝たのが11時くらい。2時に目が冴えて眠れなくなってしまったので日記を書く。そろそろまた眠くなってきたのでちょうど眠れるでしょう。ああっ、レストランで写真を撮るのを忘れてた! 大失策。

8月17日 はれ

* 今日からConference
今日からPerl Conferenceが始まる。9時前にFairmontホテルに行ってみると、受付の前に列ができていた。昨日のうちに登録しておいてよかった。会場の回りをひと回りしてみたところ、SunWorld提供のcomputer roomを発見。インターネットアクセスがある。rloginでリムネットに入ってメールを出すことができるが、日本語の読み書きはできない。
* チュートリアル
* 昼食
ランチはサンドイッチが配られた。さすがに量が多い。休憩時間にもコーヒーやおやつが出る。高い会場を使っているだけのことはある。
* オライリーアイテム
オライリーの本が20%引きで買える他、Perl Tシャツも売っている。「Perl5 Pocket Reference, 2nd Ed」は5.005対応のようだ。買おうと思ったら「後でもらえるから買わなくていいよ」と言われた。ラッキー。とりあえずTシャツだけ買っておく。
* Perl Mongers
「Perl Mongers」というPerlのユーザーズグループがある。各地にグループを作ってタウンミーティングを開いたりしているらしい。明日のBOFに登録する。「Tokyo! Cool!」と言われてしまった。メールでは東京の人からも問い合わせがあったそうだが、tokyo.pm.orgはまだできていなかった。
* 浅見宅訪問
浅見の新婚家庭におじゃまさせてもらってネット接続。これでやっと日本語が読み書きできる。この日記もアップロードできるかな。と思ったが、ネットになかなかつながらない。浅見の家のHubは100Mなので、彼の100Mカードを借りてみたが、ドライバーがうまくWin95に入らず、結局自分の10Mカードをクロスケーブルで接続した。こっちの電話は12マイルまでは接続料が無料で、一日中つなぎっぱなしにしてるそうだ。

8月18日 はれ

* Perl Conference チュートリアル2日目
今日はチュートリアル2日目。朝食をちゃんと取っているせいか、時差ぼけはなくなってきた。宿から会場までは歩いて10分くらいだが、朝は結構すずしい。トレーナーを着ていてもちょっと肌寒いな、ってくらい。
* チュートリアル
今日は終日「Advanced Perl Fundamentals」を受ける。講師はRandal SchwartzとTom Phoenix。彼らのかけ合いは楽しいし、ジョークもあったりするのだが、いかんせん早口だ。それでなくても4日分のコースを1日でやるというのもあって、英語に追いつくだけでも大変だ。320人以上の受講者が聞きに来ていて、立ち見まで出ている。

内容はStonehenge Consulting Services(Randal、Tomの会社)の教科書にそっている。主なトピックは以下のとおり。

午後になると強烈な眠気が襲ってきた。まだ時差ぼけが残っているのか。確かに日本時間にすると、夜通し起きていて朝ついに眠くなるという頃合いだ。それとも、単に昼食のサンドイッチが多すぎてお腹いっぱいで眠いだけなのか。コーヒーをがぶ飲みしても役に立たなかった。
* ktermがあるじゃないか
Computer Roomの端末は主にSunで、MacとWinNTが少しあった。Sunの画面はKDEである。ん? 待てよ、Xということはktermがあるはずじゃないか。をを、やはりある。ロケールがおかしいとか言われるが、気にせずmuleを使ってみるとちゃんと日本語が表示できた。
* Perl Mongers BoF
7時から8時までPerl MongersのBoFがある。今午後のチュートリアルが終って、午後6時になったところ。他の参加者はみんな食事にいってしまったみたいだ。7時まで間があるので帰国後のjus勉強会の発表資料を作る。

BoFが始まった。まず、全員を地域ごとにソートしようということで、各自電話の市外局番をシールに書いて胸に貼った。が、実は市外局番が近いからと言って地理的に近いってこともないので、来年は郵便番号を使おうってことになった。番号の一番大きなダラスの人と、一番小さなロンドンの人(国番号「+44」は2桁しかないから)があたりで、オライリーの本をどれか一冊もらえるクーポン券(手書きだけど)をもらっていた。

Perl Mongersって何かという話と、地域のPerl Mongersを作るにはという話があったが、ここではPerl Mongersの話を紹介しておこう。Perl Mongersの名前の由来についてはNew York Perl Mongersを参照するとよい。Perlモジュールのサフィックス「.pm」になるように決めたのだそうだ。地域ごとにPerlユーザーグループを作って発表会をしたり、のみ食いしたりということをするときに、非営利組織としての体裁がほしいことがある。ドメインを取ったり、オライリーと交渉してPerlとラクダの絵を使っていいと言ってもらうとか、会員に本の割引を提供してもらうとか。そういう、事務的なことをユーザーグループを作るたびにやるのはムダなので、Perl Mongersでまとめてやろうという話だそうだ。その運営費として今はTシャツの売上などをあてているが、スポンサーもさがしている。

* 夕食は中華
浅見に頼まれた本を渡すため、ホテルで拾ってもらい、ついでに一緒に食事をした。Mountain Viewにはオリエンタルレストラン街があり、その中の手打ちそば(pulled noodleと言うらしい)の店に入った。ここの料理は四川と広東のミックスのようなものらしい。四川風牛肉そばを頼んだところ、真っ赤な汁にほうれんそうがのっている。中華めんというよりは日本のうどんに近い感じがした。心配したほどはからくなかった。ちなみに中華くらげのサラダは「Jelly Fish Salad」と言う。なるほど。

8月19日 はれ

* 今日からConference本体
昨日まではpre Conference Tutorialというやつだったのだけど、今日からは本会議がスタートする。
* オープニング
昨日と違って会場からは机が取り払われ、椅子だけになっている。それが満席になったということは約1000人入っているということになる。すごいぞ。最初はTim O'Reillyのあいさつ、続いて投稿論文の優秀作に賞金が授与された。$1000だそうである。全部で6つのカテゴリがあったが、それにあてはまらない論文もあったそうで、来年からは「最も我々が予測できなかった作品」というカテゴリを作るそうだ。

続いてLarry Wallのオニオンスピーチ。Larryが現れると場内は割れんばかりの拍手。話の内容のうち、理解できた部分だけをかいつまんで説明してみよう。普通、複雑さは敵だと思われているが、世の中は複雑なのであって、ツールや言語をシンプルにしすぎるとかえってプログラマーの仕事が増えてしまう。Larryは今PerlをXMLとUnicodeに対応させる仕事をしている。中国語やいろんなシンボルの文字を表示していろんな話をした。最後にPerlが広く使われるようになった様を輪切りのたまねぎに例え、重心は中央にあるが質量のほとんどは外側にある、次に広がっていくのは最外周だ、外周が大切であるというようなことを言った。こう書いてみると、Larryの話の面白さが十分伝わらなくて申し訳ないが、とてもいい話だった。

* 午前中のセッション
セッションはPerl Language、Applied Perl、User Applications、Perl and Apacheという4つのトラックに分かれているため、全部を聞くことはできない。自分が聞けたものだけメモしておく。
* 午後のセッション
* Internet Quiz Show
PerlとInternetに関するクイズを3人1組の2チームで対抗するショウ。1問10点の問題を早押しで正解したチームには、10〜30点のボーナス問題が与えられる。問題は例えば以下のようなもの。あなたはわかるだろうか。
* ビア&ピッツアパーティ
クイズショーの後はビールとピザによるレセプション。スチールドラムの3人組バンドが呼ばれていて、なかなか楽しかった。
* BoFをスキップ
今日はひどく疲れてしまったので、BoFには出ないでホテルに帰った。明日はチェックアウト。2時間程寝てから荷造りをした。

8月20日 やはりはれ

* Perl Conference最終日
今日でPerl Conferenceは終了する。明日はOpen Source Developers'Dayというイベントを引き続きFairmontでやるらしい。フリーソフトウェアとビジネスモデルに関する話などがあるそうだ。Larry Wallの他にRichard Stallmanとか、Apacheの作者などが来るらしい。とんぼ帰りの日程を組んでしまったため出席できないのが残念だ。
* 午前中のセッション
* 午後のセッション
午後はパネルディスカッション「Perl Internal and Linking to C」。パネリストは4人、Fred、Gurusamy Sarathy、Gisle Aas、David。まず最初に、それぞれから自分の分野の説明があった。 その後、会場からの質疑応答があったが、Perlの内部構造に関するかなりつっこんだ話もあった。
* サンフランシスコへ移動
午後3時にセッションが終った。Tim O'Reillyにあいさつした後、サンノゼを離れてサンフランシスコへ向かう。この後のTown Meetingや明日のOpen Source Developers' Dayが見られないのは残念だ。もう少し余裕のあるスケジュールにしておけばよかった。

サンノゼに来るときは101を下ってきたのだが、帰りはゴールデンゲートブリッジを通りたかっので、わざと遠回りすることにした。880を北へ向かい、リッチモンドからラークスプールへ出て、GGBを渡ってサンフランシスコに入ろうというわけだ。880はフレモントのあたりがかなり混んでいたが、その後は流れだした。しかし、5時ごろ、ベイブリッジをパスしようとしたところ道を間違えてしまい、そのままサンフランシスコに入ってしまった。仕方がないので市内を通過してゴールデンゲートブリッジを渡り、そのままUターンして帰ってきた。結局宿に着いたのは6時ごろ。

* おみやげさがし
8時半ごろまでサンフランシスコ市内でおみやげをあさる。泊まったPowellホテルはケーブルカーPowell線の始発点近く。ケーブルカーでチャイナタウン近くまで出てTシャツやがらくたを買いあさった。歩いてユニオンスクエアまで戻ってきて、頼まれていたアメコミをさがしに本屋に入る。結局見つからないので、SFとPlayStationの雑誌を買う。やはり坂が多いので、なるべく上って下るというルートにならないように歩く。
* 夕食
夕食は、浅見おすすめのFairmontホテルの展望レストラン「Crown Room」で取ろうと思ったのだが、宿から予約を入れてもらったところ一杯だった。Planet Hollywoodへ行ってみる。2人でリブステーキ、サーロインステーキとファジタを頼んだのだが、ウェイトレスに「多すぎるわよ」と言われてしまった。料理が運ばれて来ると、確かに多い。しかし何が多いって、おにぎり2つ分もあるようなマッシュポテトとか、ピザの下地に使うような甘ったるいサルサソースみたいなトマトとか、ファジタ用のチーズとかがめちゃくちゃ多い。結局ポテトはほとんど、トマトも半分以上残してしまった。これを2人で全部食べたら、そりゃあウェイトレスもびっくりだろうけれど、このポテトを一食で食うなんて、他に食う物がなくっても無理だ。3人前の食事からいいとこだけを2人前取ったようで、いらぬぜいたくをしたような気がした。

8月31日

* Virtual World西荻窪閉店
1993年12月にバトルテックセンターとしてオープンした西荻窪VWが閉店した。せまい店内に100人以上のパイロットが集結した。横浜、渋谷、秋葉原の閉店後、それぞれのサイトから「移民」してきた者達をすべて受け入れていただけに、最終日となると大変である。

1993年に初めてバトルテックを遊んだころは、まだインターネットなんて言葉も誰でもが知っているものではなく、ロボットに乗って対人対戦するゲームは他になかった。他のゲームと違って、ミッションブリーフィングとレビューという形式が、自然とコミュニティーを形成し、チームができ、本名も職業もわからんが性格と特質は知ってるとかいうヘンな人間関係に発展した。世界大会、と言っても日米戦が行われて、代表選手でもないのにアメリカまで出かけて行って、つたない英語で外国選手と即席チームを組んだりした。このころ(1995年ごろ)が多分VirtualWorldのピークで、その後はMech Warrior2などのPCによるネットゲームに押されて下火になっていく。

1995年にリリースされたTeslaと呼ばれる新型は、SIGGRAPHでGallaryを取りはしたものの、新しい店を開くときにコクピット型のきょう体や、サイトの内装に金がかかりすぎて、資金を回収しきれないものになってしまった。今から考えると、3dfxなどの安価な3Dグラフィックが出現する直前だったから、間が悪かったのかもしれない。

今でもアメリカ各地ではちゃんと営業しているサイトもあるから、ノウハウのあるところでは金がもうかっているのだろう。1997年に新しいフランチャイズ方式になってからまだ2年経っていない(この種のライセンスはたいがい2年契約だそうだ)から、来年になっていくつの店がつぶれるかを見るまではあまり楽観的なことは言えないが。

就職してからのこの5年間、自分で金を稼ぐようになって、仕事はまだ特別忙しくもなく、徹夜などの無理が効く若さがあった時期にこういう遊びにハマれたのは、運が良かったと思う。他のパイロット達にもそういう年代が一番多い。この新しいタイプの交友関係で出会って数組が結婚し、彼らの子供ももうすぐ3人目が生まれる(うちの拓ちゃんは2人目)。

9月11日

* アストロノーカにはまる
最近、プレステの「アストロノーカ」にはまっている。これは面白いゾ。
* アメリカに送金
Virtual Worldの閉店記念(笑)としてマスタートライアルをやったのだが、BT/RPあわせて6人の合格者が出た。そこで、彼らの分のマスターバッヂが入手できないか、Roninにメールしたところ、快く送ってくれることになった。そのままでは送料ばかりにお金がかかってしまうので、この際だから他の大会の優勝者バッヂも送ってもらうことにした。

しめて、85USドルくらい。向うでは残念ながらクレジットカードにチャージすることができないので、なんとかして米ドルを送る必要がある。「海外送金FAQ」というページを見つけたので大いに参考にした。結局、100ドル分のT/Cにカウンターサインし、航空便の書留で送った。

9月13日

* 一日おそうじの刑
こういうことになって、一日おそうじの刑になってしまった。じゃまされずにおそうじするため、拓ちゃんとママには前日からママの実家に泊まってもらうことに(おばあちゃんありがとう)。

朝11時半に起きて部屋を見渡す。どこから手をつけていいのか途方にくれる。とりあえず、本棚(4本のうち最後の1本が買ってから8か月以上放置されている)を組み立てることにした。

本棚が無事組み上がり、部屋にある大量の本をどんどんぶち込めるようになると、だんだんなんとかなる気がしてきた。うちは6畳の部屋と4畳半の部屋をつなげてあるのだが、まず6畳の方をなんとかすることにした。物をどんどん4畳半の方へ運び込み、ようやく掃除機がかけられた。

今度は逆に、4畳半のモノたちをキレイになった6畳へ運ぶ。なんとか掃除機がかけられて、4畳半はキレイになったものの、もう一方の部屋はなかなかカオスな状態。そうじ前のレイアウトに戻すか、別のレイアウトに変えるか、たっぷり15分は悩んだ後、結局好案ないままに元に戻す。

細部はキレイになったのだが、全体の印象は変わらずじまいのおそうじであった。おそうじ終了が9時すぎ。マーちゃんの散歩に行っておふろに入り、みんなが帰ってくるまでアストロノーカで遊ぶ。台所も大変な状況だが、ちょっと手を出す気力がなかった。

ちなみに途中で食事に出かけて、本屋で約1時間立ち読みしてしまったことは内緒(笑)。

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Last updated on: Mar 18, 2005.
Mad-P Diary Generator Version 1.42.